はじめに:母との日々を振り返る理由
「教えてくれたこと」——このタイトルがしっくりきたのは、30代後半になった今だからこそだと思います。
精神疾患を抱えた母と過ごした日々は、私にとって長く、終わりの見えない時間でした。
それでも今、少しだけ振り返りながら、母との関係を捉え直してみたいと思います。
母の変化と家庭の中の揺らぎ
小学校6年生の頃から、母の精神状態が不安定になる様子を目にすることが増えました。
父との口論が絶えず、母は「同じ空間にいるのがしんどい」と言って布団から出られなくなりました。
離婚後には過呼吸、脱力、躁うつ状態、自殺願望などが繰り返され、私も弟たちも心身ともに疲れ果てていました。
心療内科から帰ってきた母が「うつ病と言われてほっとした。私は病気だったんだ」と話したときの表情は、今でも忘れられません。
青年期に抱いた“与える”という感覚
青年期の私は、母に何かを“教えてもらう”というより、“与えてあげる”ことに意識が向いていました。
息子がいないと何もできない母。その母像は今も大きくは変わっていませんが、“与える”という感覚は、歳を重ねるごとに少しずつ薄れていったように思います。
それは、母の人生を傍で見ながら、人は誰しも弱さと孤独を抱えて生きていることを学んだからだと思います。
傾聴と共感が育ててくれたもの
母との会話は、私にとって“傾聴”と“共感”の大切さを教えてくれる場でした。
母の声を聞けば、今どんな精神状態なのかが分かるようになりました。
何にしんどさを感じていて、どんな言葉を必要としているのか。
私に何を求めているのかを感じ取りながら、じっくりと寄り添う時間を重ねてきました。
母は話し始めると長くなるタイプで、電話は2時間コースになることもあります(笑)。
だからこそ、電話をする時はスマホの充電だけでなく、自分の心の余裕も整えてから。
母の話に耳を傾けることは、私自身の心のトレーニングでもありました。
弱さと孤独を受け入れるということ
母は人に頼るのが苦手な人ですが、誰かに話を聞いてほしい人でもあります。
そんな母の姿を通して、人は誰しも弱さと孤独を抱えて生きていることを学びました。
それは決して悲しいことでも、辛いことでもありません。
弱さや孤独を認めることが、人とのつながりを深める第一歩なのだと感じています。
暗く長いトンネルを抜けた頃、母の周りには母の話を聞いてくれる友人ができていました。
受け止めてくれる人がいることで、母の表情が少しずつ柔らかくなっていったのを覚えています。
“ありのまま”で生きる意味
安心して話せる友人、信頼できる同僚、当たり前にある家族——
その人にとって大切な存在はそれぞれ違います。
でも、“ありのままの自分”として受け入れられ、肯定されること。
そこにこそ、生きる意味があるのではないかと思います。
母は、自分の生き方を生々しく見せながら、私にそのことを教えてくれました。
おわりに:母への感謝と、あなたへの問いかけ
母との日々は、決して穏やかではありませんでした。
それでも、母は私に“生きる力”を教えてくれました。
ありがとう。
あなたにとって、“ありのままの自分”を受け入れてくれる存在は誰ですか?
その人の存在が、あなたの人生を支えてくれているかもしれません。



コメント