私の母は、気持ちに波がある人です。
海に例えるなら、津波のように激しく心が揺れ動くときもあれば、静かな凪のように穏やかなときもあります。
母は「生きていることの喜び」を感じながら生きていきたいと願う人です。
それでも時には、海底深くまで沈んで息ができないほど落ち込むこともあります。
そして、ようやく海面に顔を出して息ができたとき、その喜びを全身で味わうのです。
母の心が大きく揺れるきっかけは、
漠然とした将来への「不安感」と、
自分は器用に生きられないという「自己否定感」。
「このままでいいのか」と悩み、過去を振り返っては自分の生き方を否定してしまう。
時には、愛情を注いでくれなかった祖母のせいだと悲しむこともあります。
母から「死にたい」という言葉を何度聞いたか、もう覚えていません。
正直に言うと、私は小学校高学年の頃から、母を“母親”として見る感覚が薄れていきました。
両親の離婚問題が起きた頃、私は無意識にこう感じていたのかもしれません。
「この人は弱くて、私を頼りにしないと生きていけない。今、母が求めているのは“心の支え”なんだ」と。
それ以来、母の話し相手は私になりました。
母の悩みの多くは人間関係。
「自分が正しいと思うことを、うまく伝えられない」
その葛藤が体調にまで影響することもあります。
長い電話の最後には、いつも2人で確認するように言う言葉があります。
「ぼちぼちいこな。」
ほっと一息ついて、電話を切るのが私たちの習慣になりました。
母と私が見つけた、大切な言葉。
「ぼちぼち、自分のペースを大事に。」



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