「がんばります!一生懸命やります!」
青年期の私は、それが正しいことだと信じていました。
誰のため?自分のため?
頑張る姿を誰かが見ていて、きっと報われるはずだと、どこかで思っていたのです。
高校球児だった私は、身体が小さく、目立った才能もありませんでした。
それでも3年間、ひたむきに野球に取り組みました。
神様、仏様…私を見ていますか?
そんなことを思いながら、草むしり、石拾い、バッティングピッチャーなど、地味な仕事にも率先して取り組みました。
いつしかついたあだ名は「仏の長谷川さん」。
信じることで世界は平和になる――そんなふうに本気で思っていたのです。
でも、大学に入ってから、ある違和感を覚えました。
「頑張っているのに、なぜこんなに苦しいのだろう?」
「頑張っても報われないじゃないか。」
頑張りすぎた母は、自己否定に陥り、「死にたい」とまで言うようになっていました。
一体、頑張るって何なんだろう?
私はコンビニで深夜勤務をしながら、日中は大学の講義に出席。
友だちよりも恋人と過ごす日々。
空いた時間はアルバイト。
稼いだお金は家賃、光熱費、食費に消え、残高は数千円。
限界でした。
まるで廃人のような自分がそこにいました。
私は不器用だから、頑張りすぎてしまう。
それなら、「頑張ることをやめてみよう」と思いました。
「頑張る!」って言わないでおこう。もう十分頑張ってるんだから。
生きることはそれだけで大変。
だからこそ、頑張りたいと思えるまで、エネルギーを溜めておこう。
そして今、私は誰かのために「もう一度、頑張ってみたい」と思えています。
人は、頑張りたいと思うことができた時に、自分の内側から湧き出てくるエネルギーに突き動かされるのではないでしょうか。
あなたは、どうですか?


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